FC2ブログ

梅雨明け宣言出たとたん大雨だよ!濡れたよチクショー

ようやく読み終わったぜ「群雲、関ヶ原へ」。




群雲、関ヶ原へ〈下〉 (新潮文庫)群雲、関ヶ原へ〈下〉 (新潮文庫)
(1997/12)
岳 宏一郎

商品詳細を見る





長かった…目が痛い…
以下やっぱりネタばれ注意。
島津家好きな方もやっぱり注意。

【追記】
誤字直しました、ご指摘ありがとうございます!
もー島津家同じような名前の人多いんで困りますよ(コイツ人のせいにしたよ)、
家久と忠恒(のち「家久」と改名…ややこしいんじゃあっ!)とか。


小説としては微妙かなあ…と思うところがありましたが、タイトルには恥じず、正しく「関ヶ原群像劇」でした。
こういう話がある、こうとも伝えられているが一方でこんな史実があるのでこういうことだろう~と、もはや小説というよりも関ヶ原の合戦に関わった人々のエピソード集で、その点楽しめました。


討ち死にされた人はもちろん、
裏切った人裏切られた人、
生き残った人、勝った人負けた人中立を守った人、
真摯に忠義を貫いた人、目先の利益と権力につられた人、その場の雰囲気に流された人、
それぞれ本当に一人として同じ人生はありませんでした。

今でこそ全部を知って「こうすればよかったのに」と言えるけれど、
皆自分のできる範囲でできることをやろうとしたんですよねえ…


そしてお気に入りの武将が出るたびにときめく。(←オイ

それにしても、小説的に。
島津の義弘さんが不憫でならない。




簡単な歴史上のあらすじ。
(※小説の中のお話混じり注意。)

島津義弘(維新)は、先の日記で述べました島津義久(竜伯)のすぐ下の弟、島津四兄弟の二番目です。
甥の豊久とともに約800~900の兵を率いて西軍(石田三成、負けたほう)につきました。
が、度重なる冷遇と軍議での意見の違いなどで、三成への不信がつのったため、
関ヶ原の戦いが始まり三成から参加要請を受けても傍観を決め込み、
西軍の敗北が決定してから、正々堂々(?)家康の本陣の前を突っ切り、正面突破で撤退しました。
何という前向きな撤退。

ちなみにこの撤退で、1000人弱の兵のうち生き残ったのは80人程度。
大将である義弘は逃げ延びたものの、甥の豊久は戦死(…涙)。

戦術としては愚かな気もしますが、
(撤退なのに敵の本陣正面突破って一番効率悪いわい)
しかしながら
「島津恐るべし」
と家康をはじめとする東軍の面々を恐怖させ、
西軍参加の主要な大名のうち唯一所領を守り切りました。

家康は関ヶ原では勝ったものの、この時期まだまだ世情は混沌としており、
島津:「薩摩本国にはまだまだ兵はおりもす」
家康:「仕方ないから和睦してやろうじゃないか!

…となったわけです。
わかりにくいね(私の説明が)。





さて、そんな小説の作中で。
こんなエピソードが。

関ヶ原の合戦より前のこと。

愛妻家の島津義弘は、妻にラブレターを書きました。まあラブラブv

三成:「…おまえが薩摩で検地をしているころ、おれはあの老人(※義弘のこと)が妻に宛てた書状を読む機会があった。そうだ、密偵が写してきたのだ。…」


…何、人のラブレター読んでるの三成。



三成:「…書状はこんな書き出しから始まっていた」
三成はその部分をスラスラと諳んじてみせた。



…何、人のラブレターばらしてるの三成。
しかも何で暗記してるの。



こりゃあ義弘さんも拗ねて兵を出さないってもんですよ。(違)


戦力で勝っていたはずの西軍が負けたのは、三成が嫌われていたからというのが原因の一つですが(だから秀吉子飼いの福島正則や加藤清正らまでが東軍についてしまった)、うん、その理由がよく分かる

討ち死にした人とかは、私が可哀そうとか言うのも失礼な話ですが、
これはもうただ不憫。
不憫だ島津義弘…




しかもですね。
島津義久が「可憐な花」扱いされてることは前回述べたとおり。
(本人もそんな扱いされたいわけじゃないんだから、いい加減忘れてあげようよ)
が、その弟島津義弘は「老人」扱いなのです。

なぜだ。

義久は義弘の兄です、二つ年上です。
老人扱いのほうが正しいんですよ、この時二人とも60過ぎですもの。
戦国時代の60過ぎは、そりゃ年寄りでしょう。

だけど兄の義久はどこかこう、高貴さを感じさせる描写で(結局下巻では一行さらっとした出番しかなかった)、
弟の義弘はしつこいくらい「老人」「老人」と連呼されておりました。


何ですかこの扱いの違いは!




とりあえず、このあたりがあまりに不憫で忘れられない。

あと島津家関連での見どころは、
甥の豊久(島津四兄弟末弟・故家久の息子)が他人の前では「鈍い表情」「いつも怒ってる」「棒を飲んだような」とか言われてるのに、身内である義弘の前では「ニコッと笑った」ことです。
人見知りな鬼島津、かわいいよ鬼島津。




…小説、面白いことは普通に面白かったです(フォロー)。

この記事に対するコメント

撤退

>(撤退なのに敵の本陣正面突破って一番効率悪いわい)
これはよく勘違いが起る事なので説明しておきます。
先ず関ヶ原は谷になっていて逃げ道は北西、南、東の三つです。
三成が逃げた北西は大軍が通るのでつっかえて通れません。
事実三成は逃げ切れませんでした。
東は遠くて無理です。
南(伊勢街道)は近いけれど家康の脇をかすめなければなりません。
結局南しかなかったんです。
更に現地に行って分かった事ですが、南は下り坂なんです。
突撃して走り抜けるには好都合です。

また、敵に背中を見せると攻撃を防ぐ事ができません。
ですから、通常の追撃戦は勝って当たり前で戦功があってもそれ程褒められません。
しかし、島津を追撃した武将達は酷い目に遭いました。
一生物の深手を負ったり、それが元で数年後に死んだり。

更に、戦った兵士も朝鮮出兵の老兵達でどちらにせよ先が長くなかった事もあると思います。
鹿児島は未だに畳の上の死を良く思いませんから。

もう一つ、これを戦略の一環と見るとまた違って見えます。
つまり、後の交渉でこれを戦術から戦略に引き上げたんです。

以上薩摩人の解説でした。

【2009/08/02 23:38】URL | 松崎 #ch2f7abI[ 編集]

可憐な花…(引っ張る

はじめまして。
もぐらさんの動揺ぷり面白すぎですw

ぶっちゃけ時代小説って中高年向けラノベのよーな物も多いですから、
この人はこれに萌えてるんだな~この人はこれをメイン資料にしてるんだな~程度で
読み流した方が吉ですよ。
作家さんて結構すごい形容するので、ジジイの形容に可憐な花なんて序の口かと
この群雲、関が原へは評価の高い作品ですが、調べものなら一次史料や論文が一番わかりやすいと思います。

【2009/08/04 15:31】URL | 由 #1IvkugzA[ 編集]

この記事に対するコメントの投稿



管理者にだけ表示を許可する

この記事に対するトラックバック

トラックバックURL
http://mogura45.blog20.fc2.com/tb.php/48-74a79f8c
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)