FC2ブログ

石高とは何ぞや

面白い石高のお話を聞きました。

松山は「伊予松山15万石!」と言います。
(有名な「加賀100万石」とかと同じ使い方)
これはその土地の、米の生産力を示していて、
これを基準に年貢が課され=大名の収入となり、
江戸幕府がこれを基準として、各藩に軍役などの諸負担を求めました。

そして米を作っても大部分は年貢に取られる――
「五公五民」(五割が公=年貢、民=自分のもの)
とか学校で歴史の時間に聞きました。


これ、愛媛県の
川上村では拾ォ2分→つまり102%
中川村では拾ォ4分→つまり104%
になっていたそうです。
(享保、元文の頃。当時の地名)

100%越えってありえねえ。
普通に考えて無理でしょ!?
給料毎月毎月全部持っていかれて、+カツアゲされるようなもんだぜ!!






さて。
少し話は変わって。

愛媛には宇和島藩という10万石の藩がありました。
仙台の伊達さんとの御親戚です。
細かい騒動の内容は省きますが、
その宇和島藩の中から吉田藩が独立しました。

宇和島藩10万石→宇和島藩7万石+吉田藩3万石です。

しかし、この後しばらくして宇和島藩は7万石→10万石に石高を修正されました。
その後実質7万石なのに10万石の扱いで大変だったよ!!という説も
吉田藩が独立しても10万石の実力はあったんだよ!という説もありますが、
ここでのポイントは実際の生産量をちゃんとチェックすることなく、石高の変更があったことです
(一応新田開発してたからね!という理由はつきました)
武士の世界ですから、家格が大事なのです。
宇和島藩は10万石でなくてはいけません。

生産力が減少したとしても、石高は下がらないのです。
逆に言うと、生産力が向上して収穫量が増えても、石高は上がらないのです。



最初20万石で、生産量の20%を年貢とすると

20万石×0.2=4万石の収入

ただ実質が40万石だったとすると、
支配者はやはり「そんだけ収入あるならよこせやコラ」となります。
でも表向きには石高を上げることはできないから、

目標:40万石(実質)×0.2=8万石の収入

なので20万石(名目)×0.48万石
つまり税率を40%にあげると、目標の収入ゲットです。
でも実態は20%のままです。

これでどんどん税率があがっていって、上記のような100%越えという
マトモに考えるとありえない税率が出てくる――と。





さらに。
当時、こういうときの基準になるのは米でした。
しかし米以外の、副業に対する税把握率は低かったそうです。
1830年代の長州藩の税率は、
対農業で47% それ以外で2%だったそうです。



――などの理由で、「税率100%越え!!」などの数字が出ていても
実際江戸時代の農民はその数字から受けるイメージよりも、
豊かな生活をしていたのではないかと言う興味深いお話でした。



この記事に対するコメント

石川は能登の半分以上の百姓が水呑という村は、税率200%だったそうですね。

ちなみにその村、百姓の持ち高は10石そこそこなのに倉が建ち並んでいたとか。村とは名ばかりの貿易港湾都市だったようで、百姓は水呑百姓も含めて皆北前船を何艘も抱えた大商人だったのです。田んぼは、石高がない百姓は藩に何も言えないから発言権維持のために形だけ持っていたとか。耕作は完全に使用人任せです。で、その使用人にしても公式身分は「奴隷」ですが、北前船の船長も含まれており、出先では数千両単位の決裁権限を持っていたと言うことです。

まあ、藩の方も(認めたくないけど)それを判っていたから北前船の分を加味して税率を決定していたわけですね。たぶん、川上村や中川村もそう言う村なのでしょう。

【2010/10/16 13:37】URL | ひむか #-[ 編集]

おまけです。

Googleマップで調べてみたら、中川村川上村って菊間港から三島神社を経て北条港へ向かう旧街道沿い? 現在の県道は道がうねうねしているので土木技術が進んでからできた比較的新しい道だと思えます。そちらができるまでは川沿いの中川川上を通る道が主だったのでは? そして新道と今治街道の整備のために寂れてしまった。

なんかいろいろ想像がふくらみますね。

【2010/10/16 13:53】URL | ひむか #-[ 編集]

はじめまして。
灯夜(とうや)と申しますー^^

広島と、神奈川を嫁に下s(ry

静岡からでしたーwww

【2010/10/16 16:20】URL | 灯夜 #bL.dcauM[ 編集]

美濃は

小藩に分けられた挙句、水害が起きれば全滅でしたから、どうだったのだろう?たまに、と言うならともかく毎年のように水害が来ていたと思うのですよ。

民話に「食べていくことが出来ないので独り者の男が、雑穀を食べてむなしがっていると、タビの女と結婚、実は人間でなかった」

この手の話が多いのです。真実どうだったかな。

【2010/10/17 02:00】URL | ゆふ #x8hUpm56[ 編集]

 歴史の教科書に「五公五民」とあると「税金を半分もとるなんて江戸幕府はなんてひどいんだ!」と思うんですが、これって「米」にかかる税なんですよね。今の感覚だと「全収入の50%が税金」と思ってしまうんですよね。
「慶安の御触書」についても「農民に米を食べるななんてひどい!」ということになってしまうんですが、あれも「破産するから博打はやめたほうがいいよ。米を食べると税金を納められなくなるから粟やヒエなんかをたべような。」と言った注意なんですよね。

【2010/10/17 22:24】URL | なな #UwJ9cKX2[ 編集]

わたしの父の実家は

平野と山の境で、米作にはいまいち向かなかったと思うんですが、その代わり川伝いに福井県の海のものと、こちらの山のものを交換していたようです。古くは物々交換でしょうがめどならお金でしょう。

蔵は建ちませんでしたがそれなりに生きていたようです。

【2010/10/18 00:10】URL | ゆふ #hkjhWKO2[ 編集]

うわあ、ややこしい。
どっかで整理すればよかったのにな。

【2010/10/18 17:39】URL | 松山人 #-[ 編集]

この記事に対するコメントの投稿



管理者にだけ表示を許可する

この記事に対するトラックバック

トラックバックURL
http://mogura45.blog20.fc2.com/tb.php/188-2fe65904
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)